私が住む自宅住所は昔、越後の国廿六木村と言った様だ。
 我が師、深海政夫の自宅跡が廿六木村の名の由来、豪族廿六木軍兵衛の屋敷跡と言われていた。
 深海政夫は廿六木軍兵衛の財宝を信じて庭を掘り起こしていたとの話を近所の老人から聞いた。
 その老人は私の長くの飲み友達であの世へ逝って数年、寂しい思い。
 
 深海政夫は木崎村小作争議で、時の文化人、柳宗悦、河井寛次郎、小山富士夫、棟方志功、濱田庄司諸々と一緒に、小作人は勉強する必要はない。
 と言う地主、現北方博物館、地主伊藤家に反旗を掲げてて出来た、木崎農民学校の教師である。

 処がこの政夫、すこぶる女好きで、共産党員、当時特別高等警察に狙われ、日本に居られず愛人と支那に亡命。
 
 末路は燕産業資料館、初代館長。
 逝ってから何年経つかな、深海家の墓には【武蔵の国 鴻巣村より 訳ありて この地へきて 農をえとなむ】と有る、祖先は侍なんだね。

 アーメン合掌・・・♨♬チ~ン


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