闇の狩人(上)

 仮眠から目ざめた谷川弥太郎は、小屋の台所に置いた戸棚の中へ手を入れ、なにやら、皿のものを取り出した。
 しんしんと凍りつくような寒夜であった。
 いつも食事をする飯屋[釘ぬき屋]から買って来た煮魚を、たっぷりかけた煮汁と共に深目の皿に入れたのを、昨夜から戸棚へ入れ放しにしておいたものである。
 煮魚は汁と共に凍りつき煮こごりになっている。
 弥太郎は、これが好物である。
 一度、食べ忘れた魚がこうなっているのを口にしてからの事だ。
 冷たい煮こごりに、冷たい酒で、弥太郎は、この日、二度目の食事を終えた。

 闇の狩人(上)【煮魚の煮こごり】
料理:野崎洋光
材料:二人分
穴子の開き(1枚)生姜(15g)一番出汁(200㏄)
酒(100㏄)水(100㏄)醤油(50㏄)砂糖(20g)
みりん(50㏄)粉ゼラチン(8g)

主役の穴子は見るからに油がのり肉厚、先ずは一手間晒を被せる、その上に湯をかけ湯通し、余計な油や臭みを取る。
皮が反ってきたら、冷水にさらす。
包丁の背で皮のぬめりを軽くこそげるように取る、さらに水の中に入れ洗う。
主役の穴子は美しく磨かれた、大きさに整える。
鍋に一番出汁、酒、水、醤油、味醂、砂糖を入れ、火にかける、そこに穴子を入れ、沸騰したら弱火で15分煮る。

針生姜をつくる、粉ゼラチンを水で溶く、ゼラチンを鍋に入れ2分ほど煮、針生姜を入れて火を止める。
煮込んだ穴子を型に入れ、穴子に煮汁をかけ半分ほど浸す。
凍り水で冷やし、残りの煮汁も同様に冷やす、少し固まってきたら、さらに残りの煮汁を入れる。
後はじっくり冷蔵庫で一時間ほど冷やして完成。

現代では谷川弥太郎のように、凍りつくような寒夜を待たずして煮こごりが出来る。


 鬼平犯科帳8 明神の次郎吉

 他人のものを盗み取る稼業ゆえに、盗めをはなれているとき、他人へつくす新切には骨惜しみをしない。
 差し引き勘定で、(このおれは、きっと、畳の上で死ぬるにちげえねえ。 いや、神さま仏さまが、それぐれえのことをして下さらあな)などと、おもっているのだ。
 それにしても、今夜は特別に気もちがよかった。
 なんといっても、浪人ながら大小の刀を腰に帯した左馬之助が、(取るに足らねえ、このおれを荷車に乗せ、梶棒を把っておくんなすったのだものな)なのである。

 三次郎は、先ず、鯉の塩焼きを出した。
 鯉の洗いとか味噌煮とかいうけれども、実は、塩焼きがいちばんうまい。
 酒も、とっておきのを出してくれた。
 「こりゃあ、どうも……ふむ、ふむ。こいつは、へえ、たまらなくうまい」
次郎吉は、舌つづみをうち、「あんまりのむと、こんなうまえものが腹へ入りません。ですからすこしずつ……」と、なめるように、ゆっくりと酒をのんだ。
 つぎに、軍鶏の臓物の鍋が出た。
 新鮮な臓物を、初夏のころから出まわる新牛蒡のササガキといっしょに出汁で煮ながら食べる。
 熱いのを、ふうふういいながら汗をぬぐいぬぐい食べるのは、夏の快味であった。
 「うう……こいつはどうも、たまらなく、もったいない」次郎吉、大よろこびであった。

鬼平犯科帳8 明神の次郎吉 【軍鶏の臓物鍋】
料理:野崎洋光
材料:二人分
軍鶏の鶏ガラ(1羽分)レバー(200g)砂肝(200g)
白滝(1玉)ねぎ(1本)ごぼう(1/2本)椎茸(2個)
芹(1束)醤油(200㏄)酒(200㏄)昆布(10㎝角1枚)
卵(2個)こしょう(適量)

軍鶏は福島県伊達郡川俣町のものを使うと野崎洋光は言う。

先ず、軍鶏のガラを下茹でする、茹でた鶏ガラの血合いや汚れをとる。
鶏ガラを昆布といっしょに煮込み、灰汁をとりながらじっくりと、めあすはおよそ30分。
つぎは臓物の仕込み、筋や血合いをとり除く、それをかるく湯通しする。
ごぼうはササガキにする、ねぎは斜め切りに気持ち大き目に、芹には4㎝の長さに切る、白滝は湯通しする。
軍鶏のスープに醤油、酒を加える、そこに湯通しした臓物加える。
椎茸、白滝は火をつける前にいれる。
煮立ってきたらごぼう、ねぎ、芹を入れる、香りが飛ぶので余り煮すぎてはいけない。

最初はお椀に卵をとき、すき焼き風にして食べてほしいと言う。
鍋にご飯を入れるので無く、ご飯に具を乗せこしょうをかけて頂く。


2013年6月7日東京都台東区上野
彰義隊の墓
以下Wikipediaより
彰義隊(しょうぎたい)は、1868年に江戸幕府の征夷大将軍であった徳川慶喜の警護などを目的として渋沢成一郎や天野八郎らによって結成された部隊。幕府より江戸市中取締の任を受け江戸の治安維持を行ったが、上野戦争で明治新政府軍に敗れ解散した。

上野公園と言えば西郷さんとハチ公

斎藤さん


 銀座Bar Mugenでの落語会大変楽しく過ごさせて頂きました。
 最初に中村早織さんお世話になりました。(*^-^*)
 多歌介さん、三遊亭歌武蔵さん、おじさんにも御礼申しあげます。

 土岐さん、土岐さんの素晴らしいリアルタイムのお友達深澤さん、景山さんとは斎藤さんと最後迄お付き合い頂きました。
 是非宜しくお伝え下さい。
 
 皆様との楽しかった写真はFBではアップロード致しません。
 土岐さん後程別便にてアップロードしましたら連絡します。
 深沢さん、景山さん、貫田さんにお渡しお願いします。


http://youtu.be/_KrZKwBE3ag


鰹の刺身
【材料】二人分
鰹(1さく)
辛子(小さじ1)
玉葱(1/2ケ)
大葉(2枚)

 鰹ならではの味を楽しむため、さくは厚めに切る。
 さらした玉葱の上に大葉を敷きその上に主役が収まる。
 そえるのは練り辛子。

鰹飯
【材料】二人分
鰹の中落ち(150g)
ご飯(2合)
醤油(50㏄)みりん(25㏄)
生姜(20g)
茗荷(1個)
大葉(4枚)わけぎ(1本)

 生姜、茗荷、大葉、わけぎをみじん切にして水にさらす、ざるにあげ水気を切る。
 醤油に煮切ったみりんを加えたれを作る。
 2つかみの薬味を残し、残りの薬味となか落ちをたれに漬けてズケを作る。

 ご飯に上にズケを乗せ、1つかみの薬味を加える。


信長の甲冑

秀吉の甲冑


私が産まれた処は燕駅前通りの穀町です。
穀町は戸隠神社の在る宮町の隣ですが所属は横丁に為ります。
元々燕祭りは喧嘩祭り、神輿を神社へ入れる舞込で神輿を入れると祭りは終了です。
終わらせる側と終わらせないとする側との押し問答で2時~3時頃まで問答が続きました。
今はそんな事、昔の思い出。
神輿は車で運び静かな祭りです。

時代の流れですね~ぇ 寂しいです。

燕市戸隠神社春祭りは横丁の萬燈宮町(木場)の萬燈2つが有る。
横丁の萬燈は鼻潰れと言われ高さは同じだが横が少し狭い。

燕市春の戸隠神社祭礼では横丁と宮町の若衆が各20人程の踊りを二人一組に分かれて担いで門付に回る。
音頭は伊勢音頭である。
何故伊勢音頭なのか?伊勢から当地へ流れて着た者が多いのか?

 宮町(木場)の萬燈引き
 神輿を車に乗せて運ぶとは残念!神輿が燕祭りの見ものでした。
 時代が変わるとは寂しい物です。

何故か私が横町所属組のせいか横町の萬燈を多く紹介しているようです。
宮町は私が産まれた家の道路を挟んで向かいです。
こんなに燕祭りに執着したのは数十年ぶりです。

完 宮町の萬燈
燕駅前での宮町の萬燈は戸隠神社前アーケードでの横町の萬燈と比較すると少し見劣りした様にみえた。
何故?あっ、あの人物が居ない!そうだ、宮町の萬燈こと〇〇が居ない。
あの世で悔しがって居る事だろう。

完 かどづけ【門付】
燕駅前近く、焼肉松燕で呑んで居たら宮町の門付が入ってきた。
門付の祝儀を聞いてみたら、何と一軒平均3,000円。
何と言う事か、数十年前と変わらないでは無いか。
萬燈の灯が消えるのもそう遠くなさそう、、、。


八海神社

八海神社概要: 八海神社の創建など詳細は分かりませんでしたが、背後にある八海山は古くから山岳信仰の盛んだった霊山で薬師岳や大日岳など薬師信仰と神仏混合していたようです。現在も行われている火渡りの荒行も当時の修験者の修行の名残が感じられます。境内には赤い滝と称する鉄分を含んでいると思われる滝とイザナギ(男神)、イザナミ(女神)と称する男根石と女陰石が祀られています。又、一の鳥居から二の鳥居までの参道は天保7年(1836)に大干ばつが起こりその対策の一環として植林されたもので樹齢250年を越える杉並木が続きます。八海神社参道杉並木は昭和45年に新潟県指定天然記念物に指定されています。
※文引用新潟県南魚沼市観光・旅行見所ナビ

この石を触り祈る事で子宝が、お試し下さい。(*^-^*)

一、金壱億円也 松村豊殿
東京都新宿区揚場町1ノ1 うしゃ~あ!

新潟県南魚沼市山口
JR六日町駅からバス30分&徒歩10分
八海神社は,旧六日町山口中手原に鎮座する


永林寺は、五百有余年前に創建され、徳川家康の孫松平忠直公(作州津山藩祖)、その子松平光長公(越後高田藩主)の香華所として本堂建築を認可され、三葉葵の紋章を許された由緒深い曹洞宗の名刹である。

その折、江戸彫り御三家の石川流石川雲蝶正照を拝請し、100点余りの作品群を有している。置物や欄間は、華麗ななかにも艶やかさを保ち、勝縁の寺として参詣者も多い。
※文永林寺HPより引用

お問合せ:永林寺
TEL : 025-794-2266
住所 : 魚沼市根小屋1765


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