剣客商売十五【二十番斬り】

 小兵衛隠宅の物置を、二人の侍が蹴破ろうとしている。
 中には、かつての門人、井関助太郎と四・五歳ばかりの男女。
 二人をかくまう小兵衛に、次々と襲い掛かる刺客達。
 さらに、田沼意次の息子で三冬の兄、意知の暗殺。
 秋山親子を助けてきた者達が一致団結し、江戸の町を駆け巡る。
 そして小兵衛は、二十人もの強者が待ち受けるあの場所へ……。

 おはるが小兵衛の身をあんじて作る嵐の前の静かな昼餉。

 秋山大治郎は、日暮れに関谷村へ立ち寄るからと、小兵衛への伝言をおはるにたのみ、今日の早朝に、関谷村から田沼屋敷へ出むいて行ったそうな。
 おはるは、山芋のとろろ汁をつくって出した。
 炊きたての麦飯にとろろ汁をかけまわして食べるのは、若いころから小兵衛の大好物であった。
 大治郎も今朝は、このとろろ飯を食べて神田橋御門の老中・田沼主殿頭意次・上屋敷へ出かけたという。
 大治郎妻・三冬は、田沼老中の妾腹の子だけに、田沼老中は大治郎を実の子のようにおもい、一日置きに邸内の道場へ来て、田沼の家来たちに稽古をつける大治郎と、「今日は会えよう」おもってはいても、激務のために、なかなか会えぬとか……。
 いま、世上における田沼の人気は悪くなる一方であった。

【炊きたての麦飯にとろろ汁をかけたもの】
料理:田村隆
材料:二人分
【麦飯】麦(0,6合)米(1,4合)水(300cc)【とろろ汁】自然薯(150g)水(500㏄)煮干し(25g)信州味醂(30g)粉青海苔(適量)

煮干しは一晩水に漬けて置く。

自然薯は摺った時に不純物が混ざらないように丁寧に皮をむく。
すり鉢で優しく丁寧に芋を摺りおろす。

麦は熱湯に30分浸け柔らかくしてから米と一緒に炊く。

煮干しの入った鍋を火にかけ沸いたら火を止め味噌を加える。
味噌が溶きあがったら汁を脱脂綿で濾す。
濾し汁は一旦冷し、とろろと同じくらいの温度にする。
摺りおろした自然薯に濾した汁を少しずつ加えのばしていく。
出汁が全量無く成るまで少しずつ加えてのばす。

炊き上がった麦飯にとろろ汁をかけ、粉青海苔を散らす。

私感:と言いますが、麦飯などは刑務所の飯、今では刑務所でも出さないかも知れない。
十数年前に京都の麦とろ飯屋へメーリングリストのOFF会で行きました。
麦とろ飯は食う物の無い時代の食べ物だなぁ、と思ったのが私の感想でした。


 にっぽん怪盗伝【ねずみの糞】

 昔、掏摸を働いていた小間物屋の又吉は腕っ節の強い女房のおまゆに咎められ、堅気に成って早六年。
 だが遊女のようなことをするおふくに入れ込んでしまった。
 しかも、おまゆとおふくはかつて同じ道場で学んだ友だった。
 おふくが、劍の道に進んだ理由と、その道を外れた理由が語られる……。

 おでん燗酒の屋台主は凍てつく暮れの夜の悦楽。

 又吉が、嶋屋を出たのは五ッ前であったろう。
 大伝馬町から人形町通りをまっすぐに南へ行き、酒井志摩守屋敷にそって、ぐるりとまわると、永久橋がある。
 これを渡って北新堀町を突っきれば、その対岸が又吉の住む深川である。
 「うう、ばかに寒いな」永久橋のたもとまで来て、又吉は身ぶるいをした。
 嶋屋で馳走になった酒の酔いも、すっかりさめてしまい、凍りつくような夜であった。
 橋のたもとに[おでん・かん酒]の屋台店が出ていた。
 「熱いの一本、つけて下さい」又吉は中へとびこんで、いった。
 
 このころのおでんは、現代のわれわれが食べているような煮こみのものではない。
 石をならべて熱した上へ、こんにゃくと豆腐をのせて水分を去り、十分に熱したところへ味噌をつけて出したものである。

 熱い酒で、又吉は豆腐を一つ食べた。
 「もう一本もらいましょうか」又吉が、人のよさそうな屋台店の老爺に、こういったときである。
 ぬっと、のれんをわけて入って来た男が、「おい。おやじ」と、濁声でよんだ。
 がっしりと、見上げるような男で、茶の垢じみた着物に太刀一本を落しざしにした、見るからに荒さみきった五十がらみの浪人者で、したたかに酔っていた。

【おでん】
料理:田村隆
材料:二人分
黒こんにゃく(1枚)焼き豆腐(一丁)信州味噌(200g)卵(1個)砂糖(40g)酒(20㏄)味醂(20㏄)

焼き豆腐は1,5㎝幅に切り、下茹でしたこんにゃくは1㎝幅に切る。
焼き豆腐とこんにゃくは田楽串に刺す。
味噌の中へ砂糖、味醂、酒、卵を入れ練りこむ。
よく練りこんだら火にかけてさらに練りこむ。

石を網に乗せ火にかけて熱する、石が熱くなったら串に刺したこんにゃくと焼き豆腐をのせて熱する。
熱くなった焼き豆腐とこんにゃくに味噌をのせて頂く。

5:32 2014/03/09


 剣客商売二「悪い虫」

 うなぎ屋の又六が、大治郎に剣術指南を願い出た。
 悪い奴に馬鹿にされたくないから、十日で強くして欲しいと言う。
 悪い奴とは、深川で手あたり次第悪事を働く又六腹違いの兄。
 無茶な願いに困った大治郎は、父・小兵衛に打ち明けた。
 こうして始まった、秋山親子の猛特訓。
 十三日目。
 又六の元へあの「悪い虫」が現れた……。

 「三十年も剣術をやると、今度は、おのれがいかに弱いかということがわかる」「そ、それじゃあ、何にもなんねい」「四十年やると、もう何がなんだか、わけがわからなくなる」「だって、お前さん……いえ、先生は、まだ、おれと同じ年ごろだのに……」大治郎は苦笑した。
 今いったことは、父・秋山小兵衛のことばの受け売りだったからである。
 蕪の味噌汁に里芋の煮物。
 それに大根の漬物の朝飯を、又六は緊張のあまり、ほとんど喉へ通さなかった。

【蕪の味噌汁】
料理:田村隆
材料:二人分
蕪(中2個)出汁(400㏄)味噌(30g)

【大根の漬物】
大根(100g)濃口醤油(大匙1)味醂(大匙1)酢(大匙1,5)赤唐辛子(1本)

蕪は身から5㎝程茎を残し皮を剥き、四等分に切り水に晒す。
出汁に蕪を入れ火を通す。
火が通ったら、味噌を溶き入れる。

大根は短冊に切り、赤唐辛子は刻む。
大根に濃口醤油・味醂・酢・赤唐辛子を入れ軽く揉む、ポリ袋へ入れ密封。
一時間程で出来上がり。


 剣客商売四 天魔「老僧狂乱」

 秋山大治郎は、昔世話になった僧侶が大川に身を投げる場に出くわし、助けた。
 金百両を盗み取られた故の身投げ。
 話を聞いた小兵衛は、金を工面し僧侶に渡した。
 しかし裏では、四谷の弥七が僧侶を見張った。
 案の定、僧侶は翌朝、姿をくらませた。

 そこへ、お春が酒の支度をしてあらわれた。
 鉄鍋で煎りつけた鴨の肉に、芹をあしらったものが運ばれた。
 「さ、熱いうちにやれ」「いただきます……」「あ、これは……」「どうじゃ、うまいだろう?」「はい」「あとで、お
はるが得意の鴨飯をつくるぞ」それに、熱湯へ潜らせた芹に淡塩をあてて、軽く圧した漬物も出た。
 「ようやくに、腹の虫が、おさまったわえ」

【鴨鍋】
料理:田村隆
材料:二人分
鴨肉(400g)芹(2束)醤油(大匙2,5)砂糖(大匙2)酒(大匙2)

芹は5㎝の長さに切り、根の部分は捨てずに水に浸しておく。
鴨肉は余分な脂身・皮・すじなどをとり除く。
皮に包丁目を入れ、目を横にして一口大に切り、油を引いた鉄鍋で炒り付ける。
芹は固い根の部分から鍋に入れ、砂糖と醤油で甘辛く味を付ける。
さらに酒を加え円やかに、煮上がったら芹を入れ、煮ながら頂く。

【鴨飯】
料理:田村隆
材料:二人分
取り除いた鴨、長ネギ1本、ご飯茶わん二杯

鴨は細かく切り、長ネギは縦に割り、1㎝に幅に切る。
食べ終わった鴨鍋の中に細かく切った鴨、葱、ご飯を入れ焼き飯の要領で炒める。

【芹の漬物】
料理:田村隆
材料:芹の葉の部分と塩

芹の葉の部分は塩を入れた湯にくぐらせ、塩で揉む。


 剣客商売六 新妻「鷲鼻の武士」

 若き剣客渡部甚之介は、黒田道場の代稽古をつとめていた。
 そこへ三人の侍がやって来て、立合いを申し出た。
 渡部は、浪人風の二人を打ち倒したが、鷲鼻の男だけは立合おうとせず去っていった。
 しかし翌朝、渡部の元へ、鷲鼻の男から果し状が届けられたのである。

 小兵衛と将棋を指す渡部だが、この日の様子をちと違う。

 「将棋はお好きか?」「はあ……」「では、ひとつ、相手をさせてもらいましょうかな」「願うてもないことです」というのが、はじまりで、以後は月に一度ほど、甚之介が隠宅へあらわれ、小兵衛と将棋を指し合うようになった。
 このほうの二人の力量は伯伸している。
 だから、双方がおもしろい。
 ことに甚之介は、いったん将棋に向かうと無我夢中となり、前日の午後から指しはじめ、翌朝におよぶこともめずらしくない。
 この間、小兵衛は酒をのんだり、食事をとったりするが、甚之介は「いや、結構です」と、盤面をにらみつけたままなのだ。
 しかし、終わったのち、おはるが豆腐や野菜の煮染などを出そうものなら、大鉢のそれをぺろりと平らげた上、飯も六、七杯は食べ、「ああ……よい気持ちです」子供に返ったような無邪気さで、細い眼をさらに細め、腹をたたきながら帰っていくのである。

【豆腐と野菜の煮染】
料理:田村隆
材料:二人分
厚揚げ(1枚)蒟蒻(半分)人参(100g)牛蒡(50g)里芋(200g)生椎茸(4枚)(10枚)出汁(400㏄)醤油(大匙2)砂糖(大匙1,5)油(大匙1)

 さやえんどうは沸騰した湯に塩を入れて茹でて置く。
 牛蒡、里芋、人参は乱切りにし、椎茸には表面に切り目を入れる。
 厚揚げは型崩れしないよう大き目に八等分に切り、蒟蒻は味が染み込みやすくするためコップでちぎる、大きさは揃えつつ形は不揃いで。
 鍋に油を引き切った材料を全て入れ、炒める。
 痛めた具材に出汁を入れ、醤油は半分、砂糖も入れる。
 強火で落し蓋をして5分煮、火を止め、落し蓋を外して冷ます。
 何回か煮詰めては冷ますを繰り返す。
 仕上げに醤油を加え汁気が無くなるまで煮詰める。

 煮染は大鉢に盛り、切ったさやえんどうをのせ、小皿に取り分けて頂く。

4:34 2014/02/24


 剣客商売六 新妻「金貸し幸右衛門」

 金貸しの老人浅野幸右衛門が狙われ、小兵衛が助けた。
 襲った男藤丸庄八は、小兵衛を慕う渡部甚之介の幼馴染みだった。
 明くる日、藤丸が殺された。
 幸右衛門は、一年四ヶ月程前の或る日、一人娘が女中と共に出掛けたまま、行方不明となっていた。
 
 (そうだ。久しぶりに、元長へ寄ってみようか……)
 [元長]は、小兵衛がひいきにしている橋場の料亭[不二楼]の料理人長次と座敷女中おもとが夫婦になり、浅草駒形堂裏の河岸にひらいている小さな料理屋である。
 両国橋を渡った小兵衛は、ゆっくりと浅草へ向かった。
 元長へ着くと、長次夫婦がよろこんで出迎えた。
 階下は十坪ばかりの入りこみ座敷だが、どこまでも小ぎれいにしてあり、席を区切る衝立障子もしゃれた造りだ。
 客が三組ほど入っていたが、その中で、小兵衛と同年配の老人が默念と盃をなめているのが目についた。
 去年の暮れに来たときも、小兵衛は、この老人を見かけている。
 背丈が高く、腰も曲がっていない、すっきりとした体つきの老人だが太い竹の杖をつき、短刀をたばさみ、店を出て行く姿が印象に残っていた。
 (中略)
 「ふうん。おもしろそうな老人じゃ」「さあ、なんでございますか……」
 いったん、階下へ去ったおもとが、蠣の酢振へ生海苔と微塵生姜をそえたものと、鴨と冬菜の熱々の汁を運んであらわれた。
 このように、体裁にとらわれずに、うまいものが食べられるというので、このごろの元長は、なかなかどうしてよく繁昌しているのである。

【蠣の酢振へ生海苔と微塵生姜をそえたもの】
料理:田村隆
材料:二人分
牡蠣殻つき(12個)生海苔(20g)生姜(適量)信州味噌(5g)水(3カップ)酢(半カップ)

牡蠣を殻から外し酢と水を入れた鍋に牡蠣の身を入れる。
弱火で牡蠣を振り洗いしながら牡蠣に火を通す、軽く火は通ったら牡蠣をざるに上げる。
生海苔を包丁で刻み信州味噌と混ぜ合わせる。
牡蠣を皿に盛り茹で汁をかけ味噌と混ぜた生海苔と微塵生姜をのせる。


 鬼平犯科帳6「礼金二百両」

 寛政3年の正月、大身旗本横田義郷の家来谷善左衛門が、役宅を訪ね、甥の与力佐嶋忠介に願い出た。
 横田の若様が誘拐され、身代金千両の要求があったという。
 さらに闇の者は、家康から賜った家宝”国光の一刀”をも盗んでいた。
 この刀が盗まったとなれば横田は将軍から切腹を命ぜられるかもしれん。
 平蔵は正月を切る上げ難事件へと挑むことと…

 全ての事が解決した後の平蔵と佐嶋の密かな宴。

 芝・新明町の料理屋[弁多津]の二階座敷で待っている平蔵のもとへ、佐嶋があらわれたのは、それから間もなくのことであった。
 佐嶋が、ずっしりと重い二百両の包みをさし出すと、「よし。これで当分は、泥棒どもをつかまえるための費用に困らぬな」「はい」「このようなことを、あえてするおれを…おぬしの御頭を、おぬしは何とおもうな?」「は……」
 佐嶋忠介は、ついにたまりかね、両手で顔をおおった。
 「泣くな、佐嶋……」「は、はい……」「おぬしが、おれの苦労を察してくれれば、それでよいということさ。だれにも、いうなよ」「はい、は、はい……」

 水のように冴えかかった冬の夕暮れである。
 平蔵が注文しておいた熱い[のっぺい汁]と酒がはこばれてきた。
 大根、芋、ねぎ、しいたけなどの野菜がたっぷりと入った葛仕立ての汁へ口をつけた平蔵が、「うまいな」「は……」「おぬしがひいきにするだけのことはある。躰中が一度にあたたまってきたぞ」「叔父が……あの叔父が、ぜひにもここへ参上し、御礼を申し上げたいと願い出ましたが、あえて、遠慮をいたさせました」「それでよい」「おそれいりまする」「さ、のめ。口をつけぬか」「は……」「冷えるのう。明日は、雪になりそうな……」「さようで」

【のっぺい汁】
料理:田村隆
材料:二人分
里芋 (200g)人参(100g)大根(100g)干し椎茸(3枚)油揚げ(1枚)長ねぎ(1本)出汁(800㏄)

濃口醤油(大匙1)薄口醤油(大匙2)酒(100㏄)みりん(大匙1)葛粉(大匙2)水(大匙2)

人参、大根、里芋は一口大に乱切りにする。
油揚げは半分に切った後短冊に切り、水で戻した椎茸はくし形に切る
切った具材は全て鍋に入れ、そこに椎茸の戻し汁と出汁、醤油、味醂、酒を加えて火にか

ける。
そこへ水溶き葛粉を入れとろみを付ける。
長ねぎは小口切りにして鍋に入れる。
ひと煮立ちしたら椀に盛る。


 鬼平犯科帳8「あきれた奴」

 同心、小柳安五郎は、川に身投げをする妻子を助けた。
 それは小柳が十日前に捕えた鹿留の又八の女房子供だった。
 仲間と寺に忍び僧侶を殺し金を盗んだ又八、仲間は金を持って消え又八だけがお縄となった。
 それを知った小柳は平蔵に内緒で、又八を牢から出し女房子供に合わせることにしたのであった。

 その意図とは…?(この物語に描かれる食の場面)

 小柳が又八の女房子供を助けた夜の事である。
 
 役宅の前は、江戸城の濠に面した広い道で、役宅・正門の正面に[清水御門]が見える。
 江戸城・三十六門のうちの一つで、昔徳川家康が江戸に入った折、このあたりにこんこんと清水が湧き出ていたため、この名が門につけられたとか……。
 門外の東の濠端に、夜に入ると[茶飯売り]が荷を下ろす。
 ひどい雨ででもないかぎり、かならずあらわれる。
 このあたりは幕府の御用屋敷が多く、夜ふけてからそれぞれの小者や、夜勤の者たちが腹をみたしに出てくるので、なかなか繁昌をしているし、お上のゆるしも得ていた。
 あるじは五十五、六のでっぷりと肥った老爺で、無口だがおだやかな人柄だし、それに茶飯がうまい。
 そのほかに餡かけ豆腐も売るし、燗酒も出す。
 寒い夜などに気が向くと熱い[けんちん汁]の用意をしていることもあって、このあたりでは大評判になり、長谷川平蔵も時折、食いしん坊の木村忠吾が夜勤のときなどよびつけて「おい、うさぎ濠端へ行け。ただし女房どのに気取られるなよ」などと、銭をわたして茶飯と餡かけ豆腐を買いにやることもあった。
 今夜も茶飯売りはでていた。

餡かけ豆腐
料理:田村隆
材料:絹ごし豆腐(1丁)昆布(15g)出汁(300㏄)醤油(大匙2)みりん(大匙2)片栗粉(大匙2)水(水溶き片栗粉用)生姜(適量)

昆布を鍋に入れ二つに切った豆腐を入れ沸騰させないようにじっくりと味を染み込ませる。
餡は出汁、醤油、みりんを入れひと煮立ちさせる。
ひと煮立ちしたら火を止め水溶き片栗粉を入れとろみをつける。
餡はダマにならないようもう一度火にかける。

椀に昆布の味が染み込んだ豆腐を入れ熱々の餡をかけおろし生姜を添える。
5:30 2014/02/03


 「東京都知事選挙」細川護熙氏記者会見

 大っ嫌いな政治家を順番に並べると1番が小泉、2番が空き缶、3番旧社会党の眉毛が汚らしい爺、4番が糞泥鰌、5番目が心臓、その次は細川だけど。
 (因みに好きな政治家は1番小沢一郎、2番は森ゆうこ)
 

 この記者は本者のジャーナリストか猪瀬と細川の金権問題は同じと、私らど素人でも違うと言う事は理解して居るのに。こいつは自民党の回し者だな。(それにしても頭悪)

 なんかこの会見みたら好きに為りそう細川さん。

 頑張れ細川、東京から国の悪政を正せるのは貴方しか居ない。
 今回は声援を送る、選挙権は無いけど頑張れ!

 女関係の尻も更けないような情けない奴に負けたらいかんで。

 (長い動画だけどみんな観たよ。いやぁ長い、他の候補にも同じ時間会見してみれ、答えられる者は居るのかな?。)

http://youtu.be/hxI_eDpWq8M


日本一新の会 メルマガ配信
━━【日本一新】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                 通巻第197号・2014/1/21
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                     顧問:戸田 邦司
                     発行:平野 貞夫
                     編集:大島 楯臣
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※本号は、テキスト版、PDF版とも無限拡散をよろしくお願い
 申し上げます。
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◎「日本一新運動」の原点―197

            日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観

〇 細川元首相の「佐川急便問題」の真実!

 細川元首相は、平成22年(2010年)5月、内閣総理大臣
時代の日記を『内訟録』として日本経済新聞社から出版した。
この中に「佐川急便問題」について、細川氏自身が見解を述べて
いる。また、対応に当たった関係者の証言、さらに細川連立政権
を打倒するため国会での追及を指導した自民党政治家の証言、そ
して「佐川急便問題」を冷静に観察していた内閣官房の事務担当
責任者の証言などが掲載されている。
 これらを転載するので、まず、事実関係を理解してもらいたい。

1)細川元首相の見解

(平成6年)3月10日(木) 晴 
(前段略)代表質問も終わり、本日から衆院予算委が開かるべき
ところ、佐川問題に関して国会法104条による資料提出要求を
巡り、理事会が紛糾、終日空転す。
 本件につきては、私人間の金銭の貸借という純粋に私生活上の
ものにして、犯罪や法令違反を問われるべきものでもなく、政治
腐敗や公私混淆、政治家の地位利用による利得などの政治倫理の
問題とも無関係の話なり。自民党や共産党は、1億円を政治資金
として貰い、返済していないのではないかと主張しているが、政
治資金として貰うのにわざわざ手数料を払いて根抵当権(極度額
1億円)を設定するが如きことはあり得ぬことにて、その根抵当
権も正規の手続きで解除されていることは、返済の証明として充
分なり。佐川側の貸付金台帳にても逐次返済が記録され、違法な
貸付をしたとして渡辺社長を背任で告訴した現経営陣がすでに返
済を証明せしところ(平成6年1月17日付け回答書)にして、な
んら疑われる余地なし。その意味でも国会で論ずべき問題にあら
ず。かかるネガティブ・キャンペーンを許すことは、我が国の健
全な議会政治の発展にとりて、誠に由々しきことなり。

2)証言・成田憲彦氏(当時、首相秘書官)総理の佐川問題は、
当初は総理の個人事務所が事実の確認や答弁内容の準備をしてい
て、私と警察庁からの金重凱之秘書官がタッチするようになった
頃には、既に説明を大きく変えのは不可能でした。
 私はタッチする前、総理に無断で佐川本社に行き、当時の経理
担当者に話を聞きましたが、「返してもらっています」と言われ
ました。ただ利息は政治献金にしていたということで、ここだけ
総理の答弁と違いました。当時の資料は、佐川急便事件で検察に
押収されていましたが、断片的なものやコピーが残っていて、そ
れをコピーさせてもらって帰りました。後に領収書の控えのコピ
ーなどを国会に出したとき、野党議員や識者などが疑問点などを
したり顔で挙げていましたが、本物です。
 私はまた総理の議員会館で、会計帳簿を見せてもらいましたが、
利息分はちゃんと佐川からの献金として入金処理されていました。
あれ程きちんと帳簿処理している自民党議員など、皆無でしょう。
私が進言した案は、政治倫理審査会で説明して打ち止めにすると
いうもので、その後自民党議員が多用しました。総理は乗り気で
したが、小沢さんが、総理はそんなところに行くものではないと
言って実現しませんでした。
 本来は国会が止まるような問題ではなく、社会党の村山委員長
も審議に入ればいいと言っていました。武村官房長官は私が「動
いてください」と言いに行ったときは、「そうだな」と言ってい
ましたが、まったく動いてくれませんでした。「カネを返したの
なら、証明しろ」という理不尽な要求に真面目に付き合ったのが
そもそもの間違いで、疑惑などではなく、自社の提携派にうまく
使われたというのが問題の本質です。

3)証言・平野貞夫氏(当時、新生党参院議員)佐川急便からの
1億円借り入れ問題で、当時、細川さんは「借金はちゃんと返し
たし、その領収書もある」と悪びれる様子もありませんでした。
むしろ私に「検察が佐川急便から押収した帳簿の中に、私か返し
た記録が残っているはずだ。法務省にかけあって、その記録を国
会に提出してもらうよう交渉してくれないか」と頼んできたくら
いでした。しかし、法務省は検察が押収した証拠品は出せないと
のことでした。実は建前とは別に「大きな声で言えないワケ」が
あったのです。資料を見られる立場の人から聞いたところ、「確
かに細川さんは借入金を返しています。しかし、他にも借りてい
る政治家が与野党にわたってたくさんいるうえに、返済していま
せん」と言う。帳簿を公表すれば連立政権に激震が走り、大問題
になるので出すわけにはいかなかったのです。国会の論戦では圧
倒的な世論の人気を集める細川政権に太刀打ちができない。危機
感を募らせた自民党は、なりふり構わずスキャンダル探しとマス
コミへの垂れ流しを続けたわけです。

4)証言・野中広務氏(当時、自民党衆院議員、予算委理事)予
算委員会の自民党理事の仲間で徹底的に内閣をつぶそうと申し合
わせをし、細川さんの個人的なスキャンダルに重点を置くように
なりました。我々がやるということになったら情報も入ってきて、
有り難かったですね。情報はそれなりに豊富だったんじゃないで
すか。情報をキャッチしては問題を追及しました。我々がそこま
でやれたのは自民党が第一党だったからです。向こうは7党1会
派だけに守りの体制が何もなかった。非常にもろい政権でした。
細川さんは気の毒だったと思いました。そういう思いが攻撃しな
がらもありましたね。佐川の問題は総理が辞任するような話では
ありませんでした。細川内閣は結局、自分で倒れた。予算委員会
ではない。国民福祉税で倒れたんです。細川つぶしが始まり、社
会党が逃げて、連立が壊れていく状態になっていったわけですか
らね。(後段略)

5)証言・石原信雄氏(当時、官房副長官)佐川急便からの借入
金問題は対応を本当に間違ったですよね。あれは、あんな事件に
なるような話じゃないんですよ、本来は。処理が適切じゃなかっ
たと、頭を下げておけばよかったんですよ。初っぱなから作戦ミ
スですね。法律問題にならない話なんですよ。頭下げて終わりに
なったんだ。多少、殿様の意地でね、見栄があったんでしょうね。
事柄がそんな悪質な話じゃないんですから。追及していた自民党
の野中さんたちもあんなにうまく網に入るとは思わなかったので
はないですか。私は傍から見ていて歯がゆかったですよ。やはり
内閣、総理を支える立場ですから。もっと事前に色々作戦を相談
してくれれば、展開はいくらでもあったなと。細川さんは全然、
あの話は我々に話してくれなかったですよ。いや、これはわたく
し個人の問題ですからと、一切、言わないんですもの。それも一
種の美学だったんでしょうね。非常に私はあれは残念だった。あ
んな短命に終わる内閣ではなかったのに。

〇 細川首相辞任の背景と真相!

「佐川急便問題」が疑惑問題として取り上げられたのは、平成5
年10月の衆議院予算委員会であった。以後、自民・共産がしつ
こく倒閣を狙い追求してきた。細川首相は「借金はきちんと返し
たし、その領収書もある」と平然としていた。「検察が佐川急便
から押収した帳簿のなかに、私が返済した記録が残っているはず
だ。法務省に掛け合って、その記録を国会に提出してもらうよう
交渉してくれないか」と、私に要請したくらいだった。
 細川連立政権が誕生して5ヵ月目の平成5年12月という時期
は、細川政権の存立にとって重大な時期であった。このことが判
明したのは、村山自社さ連立政権が成立した平成6年6月から半
年後の12月30日に報道されたテレビ朝日の政治報道番組であ
った。 
「自社さ政権」をつくることに功績のあった自民党の有力政治家
が、「細川連立政権を打倒するため、平成5年12月には自民党
と細川政権の中の社会党とさきがけの有力政治家で密約が交わさ
れていた」とビデオで暴露した。番組に出席していた社会党の久
保亘書記長が、怒りを露わにし「知らなかった。事実ならこのま
ま職にとどまることはできない」と、大騒ぎになった。要するに
「佐川急便問題」は、予算審議を妨害して細川連立政権を倒閣す
るため自民党と共産党が利用した問題である。個人の貸借で返済
し、何ら政治的にも法的にも問題のないことを、スキャンダルと
して捏造したのが真相である。
 8党派による細川連立政権がしっかりとまとまっていたなら、
細川首相の辞任に至る問題ではなかった。野中広務氏や石原信雄
氏の証言どおりである。残念なことは社会党(左派の一部)と新
党さきがけという細川連立政権内部の勢力が、自民党と密約して
細川政権を倒閣しようとする動きの中で、「佐川急便問題」が政
治的に利用されたのである。わが国のデモクラシーの未熟さを例
証する不幸な出来事であった。この歴史の真実をしっかりと理解
しておくべきである。                (了)


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