海魚を大別すると上層魚と海底に棲む魚(カレイ・ヒラメ)などと中層魚、深海魚など様々です。
 上層魚の背の青さは保護色で敵の襲撃に対して、空からは海水に似せ、背が青く、海中からは猛魚に対して腹は白色(太陽をうけた水面)に似せています。
 上層魚は海水の圧力を受けず、身が引き締まっていません。
 ところが、背の青い魚は脂肪が多く、漁獲量も多い為値段も安いですが、海から揚がると傷みが早いです。
 アジ、サバ、イワシなどは馴染みですが、どれも惣菜には向いていると思います。
 ですが、意外とその美味は軽んぜられています。
 取扱いも粗雑なので本当の美味さも忘れらがちです。
 背の青い魚は入手したら直ぐ塩をするなり、幽庵の汁に浸けるなどして腐敗の進むのを止めなければなりません。

 画像は〆鯖を作る為の塩漬けです。
6:12 2014/09/03


 料理昔ばなし
 再現!江戸時代のレシピ

 奈良時代の仏教による肉食禁止令以来、永い間この国では卵を食べる事が禁じられてきた。
 鶴や鴨や雉等、野鳥を食べる事は許されたのに何故か鶏とその卵だけは獣の肉とともに禁じられたのです。
 鶏は時を告げる鳥、神の使いとされてきたせいかも知れまん。
 しかし、そのタブーを室町時代後期にやって来たポルトガル人達によって破られます。
 彼らが教えてくれたカステラやボーロ等には卵が使われていたのです。
 しかも、それが上等の味。
 江戸時代になると三代将軍家光が後水尾天皇を二条城に招いた際の献立に卵料理が出るなど、卵はほぼ解禁状態となります。
 卵は人々のご馳走となり江戸中期には万宝料理秘密箱(卵百珍)天明5年(1785)と言う専門書まで出版されました。
 今でもたまたま話題になる黄身返しなどもそこに載っていました。
 親子丼や茶碗蒸し等も食べられるように成ったのは江戸時代でした。
 とはいえ、本当の意味で卵が庶民の身近な食物に成ったのは鶏卵問屋や茹で卵売りが登場する幕末の事。
 それまで卵と言えば滋養豊富な高級食材、ここ一番の時か病気に成った時くらいしか、中々食べる事は出来ませんでした。

【卵ふわふわ】
材料:三人分
卵(3個)出汁(卵と同分量)醤油(適量)塩(適量)酒(少々)胡椒(少々)

先ず、小さめの鍋にすまし汁より少し濃い目の出汁を入れ火にかける。
出汁が沸く迄の間、卵を思いっ切り溶く、必死で溶く、頑張って溶く、泡立つまで必死で溶く。
泡立った卵を鍋に一気に注ぎ入れ、胡椒をちらし入れ蓋をする。
で、ゆっくり百ほどを数える。
焦ってはいけません。

♨♪~♨♬チーン


 枝豆の茹で方

 1、余裕の有る鍋に水を入れ火を点ける。
 2、塩でモミ洗いをして水で洗う。
 3、少し多めに塩を揉み込み湯が沸騰するまで待つ。
 4、沸騰したら鍋に少し塩を入れ豆を放つ。
 5、湯でながら味をみて好みの固さでザルに揚げる。
 6、ザルに塩を振りまき、素早くザル全体を振る。
 7、扇風機かクーラーにあてて冷ます(色よくする為)
 
 冷凍保存するなら氷水を用意し、固めに茹で、7を省き一気に冷水に入れ冷まし冷凍する。
 その作業をする事で、色合いが保たれる。

 豆の美味しい時期
 1、収穫日に茹でて食べる(最高)
 2、収穫日の翌日(少し味落ち)
 3、収穫日の翌々日(なお味が落ちる)
 4、収穫日のその又翌日、東京辺りでは要約消費者に届く
 (私なら4は食べません)

 客に提供する場合、味が少し落ちても色合いは大事です。
 変色した枝豆はお客様に提供できません。

 枝豆の色よい茹で方は私の料理ブログを


 剣客商売十一 勝負【小判二十両】

 秋山小兵衛は、浅草船場にある船宿〔鯉屋〕の隠し部屋から、ある密談を覗いていた。
 小兵衛がみたのは二十数年ぶりに会った弟子の小野田万蔵。
 相手の男は、小判二十両で、ある町人を襲って欲しいと依頼していた。
 小兵衛は、万蔵が足を踏み外さぬよう探りを入れたが……。

 寺嶋村の豆腐屋が毎朝の豆腐を届けに来た。
 夏になると、小兵衛は朝から豆腐を食べるので、日に四丁の豆腐が要る。
 江戸水でよくよく冷やした豆腐の上へ摩り生姜をのせ、これに、醤油と酒を合わせたものへ胡麻の油を二、三滴落としたものをかけまわして食べるのが、小兵衛の夏に好物であった。
 その〔かけ汁〕の加減がむずかしくて、おはるは少女のこから小兵衛の許にいて、このかけ汁をこしらえてきたわけだが、このごろ、ようやく小兵衛の文句が出なくなった。
 「剣術使いは飲み食いの加減がうるさいねえ、三冬さま。おたくの若先生もそうですかね?」などと、つい二、三日前に、隠宅にあらわれた三冬へ、おはるがいったものだ。

【冷奴】
料理:野崎洋光
材料:二人分
絹ごし豆腐(1丁)生姜(1片)醤油(大さじ2)酒(大さじ1)ごま油(小さじ1/2)わけぎ(1/2本)

豆腐は8当分に切り、皿に盛り付けるまで氷水で冷やす。
わけぎは青い部分だけ刻み、生姜は摩りおろす。
醤油と酒は火にかけて、じっくりと煮切り、ごま油を垂らす。

皿に豆腐を盛り付け、薬味を乗せ、かけ汁をかける。

※食べる途中で野崎洋光氏は手削りで本枯れ節を削って添えた。


 その男(一) 池波正太郎 (文春文庫)

 時は江戸末期十三歳の杉寅之助は、自ら川に身を投げた。
 池本茂兵衛ががこれを救い剣術の弟子とした。
 恩師は公儀隠密だった。
 六年後、立派な剣客となった寅之助は、幕末の混乱へと巻き込まれてゆく。

 杉寅之助が、父、平右衛門と偶然に出会ったのは、この年の五月はじめの或る日のことであった。
 前夜。
 寅之助は深川新地の百歩楼へ泊まっている。
 例によって、相手の娼妓は歌山であった。
 百歩楼のあるじ幸右衛門も、「それほどに歌山が……」おどろいている。
 深川新地は、なかなかに格式も高く、同じ妓楼で遊ぶからには、いったんなじみとなった女を捨てて、他の女を相手にすることを、客として、つつしまねばならぬ。
 だからといって、新地名物の〔盤台面〕の歌山へ、寅之助ほどの、「いい男が、なんで……?」百歩楼の他の娼妓たちが、くびをかしげているとか。
 そのかわりに、もう歌山としては大得意であって、寅之助が来れば、あらんかぎりの誠意をつくしてもてなしをする。
 山口金五郎も、寅之助と共に百歩楼へ来るたびごとに、「あの歌山、どこがいいのだえ?」けげんな顔をするのだが、「他人には、わかりませんよ」寅之助は、にやりとしてこたえる。
 「そうかえ。おれから見るとあの女、顔も躰も、とんとしまらねえようにおもえるが……」「他人の知ったことではありませんよ」「勝手にしやがれ」その日。
 杉寅之助が百歩楼を出たのは、四ツ(午前十時)をまわっていただろうか。
 朝起きて、湯を浴び、歌山と共にゆっくりと酒を飲んだ。
 そのあとで、大根おろしへ梅干しの肉をこまかくきざんだものをまぜ合せ、これへ、もみ海苔と鰹ぶしのけずったものをかけ、醤油をたらした一品で、炊きたての飯を食べる。
 この一品。
 名を〔浦里〕といい、吉原の遊里で、朝帰りの〔なじみ客〕の酒のさかなや飯の采に出すものだが、深川でもこのごろは、名の通った岡場所なら吉原のまねをして浦里を出す。
 歌山なんぞは、自分でこれをこしらえてきてくれる。
 ちょいと、その、うまいものだ。

【浦里】
料理:野崎洋光
材料:二人分
大根(四分のⅠ)梅干し(大2個)鰹節(10g)大葉(5枚)醤油(小さじ1)海苔(2枚)

大根は摺りおろし、しっかり水気を切る。
梅干しは種をとり包丁で叩く。
そこに大葉を手でちぎり、さらに包丁で叩く。
それを削り節と混ぜ合わせる。
おろし大根も加えさらに混ぜ合わせる。
醤油も加えまた混ぜる。
海苔は焙り、ちぎって添える。

【浦里の由来】
この料理名は、十代将軍徳川家治の頃、当時流行していた浄瑠璃「明鴉夢泡雪」に登場する吉原の遊女”浦里”から由来されている。

※野崎洋光氏も本を読むまで、この料理は知らなかったと言ったが、勿論私も初めて知りました。


 鬼平犯科帳17 【権兵衛酒屋】

 駒込の外れに、名前がなく「権兵衛酒屋」と呼ばれている奇妙な居酒屋があった。
 店の夫婦は無口で愛想がない。
 平蔵がここに立ち寄った日、店が襲われた。
 女房は何者かに斬られ、亭主は女房を置き去りにして消えた。
 そして、この謎を探りはじめた平蔵にも、怪しい影が近づいてくるのであった…。

 それから二刻ほど後になって、どうしたことか、長谷川平蔵が〔権兵衛酒屋〕の裏手の竹藪の中に佇んでいる。
 二刻といっても、そのうち半刻は権兵衛酒屋にいて酒をのんでいたのだ。
 たしかによい酒であったが、平蔵は亭主にも女房にも、はなしかけたりはしなかった。
 「有合わせ一品のみ」の、その一品は蒟蒻であった。
 短冊の切った蒟蒻を空炒りにし、油揚げの千切りを加え、豆腐をすりつぶしたもので和えたものが小鉢に盛られ、運ばれてきた。
 白胡麻の香りもする。
 一箸、口をつけた平蔵が目をあげたとき、奥の板場との境に垂れ下っている紺のれんのところにいた女房と、目と目が合った。

【蒟蒻と油揚げの白和え】
料理:野崎洋光
材料:二人分
蒟蒻(半丁)油揚げ(半枚)木綿豆腐(半丁)酒(50㏄)薄口醤油(15㏄)砂糖(大さじ1)白胡麻(大さじ2)白味噌(大さじ2)

蒟蒻は5分程湯がき、油揚げは湯通しをして油を抜く。
湯がいた蒟蒻は細切りにし、油揚げはさらに細かく刻む。
切った蒟蒻と油揚げは同じ鍋の中へ入れる。
鍋に酒を入れ火にかけ、醤油、砂糖も入れ、下味をつけるため一煮立させる。
木綿豆腐は茹でて裏ごしをする。
白胡麻は擂鉢で摺り、白味噌を加えてさらに摺る。
そこへ豆腐を入れてかき混ぜ、下味を付けた蒟蒻と油揚げを入れ和える。

4:40 2014/06/24


 鬼平犯科帳7 【盗賊婚礼】

 江戸で〔本格の盗め〕をする傘山の弥太郎に、尾張で〔畜生ばたらき〕をする鳴海の繁蔵から書状が届いた。
 繁蔵の妹お糸を嫁にしてくれと言うのだ。
 両盗賊のつなぎ役長嶋の久五郎は繁蔵の陰謀を知るが、弱みを握られ、弥太郎にこの企みを告げられずにいた。
 それで婚礼が決まってしまうのであった…。

 往還に面した駒込富士前町の家並みの中に、仙右衛門がいう「おもしろいところ」があった。
 それは〔瓢箪屋〕という料理屋で、風雅なわら屋根の、いかにも田舎ふうな店構えながら、中に入ると塵ひとつさえ嫌いぬいた、清げな座敷が四つほどあり、中庭から裏手にかけては、さわやかな竹林になっていた。
 「これはよい」平蔵は、たちまち気に入ってしまった。
 芹の味噌椀。
 わけぎと木くらげを白味噌で和えたものとか鱒の味醂漬を焼きあげて嫁菜をそえたものなど、別に凝ったではないが、それだけに念が入っていて、「これはよい、これはよい。このあたりに、このような店があるとは、実に知らなんだ」「お気に入りましたかね?」「いつから、このような?」「なんでも、ここへ店を出してから五年になるそうで。主人は六十がらみの、いたっておだやかな人柄でな。独りものだそうですよ」仙右衛門がいううちに、その主人の勘助が、あいさつにあらわれた。

【芹の味噌椀】
料理:野崎洋光
材料:二人分
芹(1束)昆布・鰹の出汁(300㏄)八丁味噌(25g)粉山椒(少々)

芹は根っこをたわしで丁寧に洗い、全体も洗う。
芹は均等に切り、寝っこと太い茎から先に出汁で煮る。
寝っこと茎が柔らかくなったら八丁味噌を溶かす。
芹の葉は火を止める直前に入れ、粉山椒を入れる。

【わけぎと木くらげの白味噌和え】
料理:野崎洋光
材料:二人分
わけぎ(4本)木くらげ(20g)白味噌(30g)酢(大さじ1)辛子(適量)

生の木くらげは手でちぎり、茹でる。
わけぎは根元から茹でる。(柔らかさを均等にする為)
茹でたわけぎは包丁の背でぬめりをとり3㎝くらいに切る。
西京味噌に一度沸騰させた酢を入れ混ぜ合わせ、練った辛子も入れて混ぜる。
わけぎと木くらげにまんべんなく混ぜ合わせる。

【鱒の味醂漬】
料理:野崎洋光
材料:二人分
鱒(2切れ)味醂(大さじ2)酒(大さじ2)醤油(大さじ2)嫁菜(60g)塩(適量)

鱒は塩をふり一時間置いて、経過したら水で洗う。
味醂、酒、醤油で漬けだれを作り、そこに鱒を一時間漬ける。
炭火でじっくり、じんわりと焼く。
嫁菜はたっぷりの塩を入れて茹であげる。
焼き上がった鱒に香りと苦みを味わってもらう為、嫁菜をそえる。

6:40 2014/06/23


 剣客商売三 陽炎の男 【兎と熊】

 町医者・小川宗哲の愛弟子、村岡道歩の娘がさらわれ、娘と引き換えに毒薬を作れと脅された。
 秋山小兵衛は敵を欺くため、緻密な策を練る。
 医者の見習いに扮した大治郎が村岡の家を守り、四谷の弥七が探りを入れる。
 小兵衛の策で、村岡が動き出すのであった…、

 そこで、小兵衛と宗哲が密談半刻。
 酒ものまずに宗哲は、本所の自宅へ帰って行った。
 夜に入って、四谷の御用聞き・弥七が駆けつけて来た。
 「すまぬな、弥七。腹ぐあいはどうだ?」「晩飯も食わずに飛んでまいりました」「そうだろうとおもってな、豆茶飯を不二楼の板場へあつらえておいたぞ」「豆茶飯……?」「これ、弥七。女房が武蔵屋という四谷界隈でそれと知られた料理屋をやっているというのに、何も知らぬとは、どうしたことだ。今日はな、おはるの父親が、蚕豆のうまいのを持って来てくれてな。こいつをちょいと炒りつけ、水に浸けて皮をむいたのを茶飯に炊きこむ。これが豆茶飯よ」「へへえ。それは、うまそうでございますね、先生」「いっしょにやろう。やりながら、さて、相談だ。弥七、ちょと、おもしろいことになってきたぞ」と、今度は、おはるに、「おはる。先へ寝なさい。明日は、お前も、いそがしくなるやも知れぬ」小兵衛が、そういった。
 そして、この夜。

【豆茶飯】
料理:野崎洋光
材料:二人分
空豆(20個)米(2合)水(300㏄)酒(45㏄)濃口醤油(45㏄)

空豆はさやから出して皮の付いたまま裏表をフライパンで焼く、目安は焦げ目が付くまで。
焦げ目が付いたら氷水で一気に冷やす。
実を崩さぬように丁寧に皮を剥く。
土鍋に米を入れ、水、醤油、酒を入れて炊く。
米が炊き上がる直前に空豆を入れる(八割か九割くらい炊き上がった頃あい)豆は焚き込まない。

5:00 2014/06/22


【梅干し】
料理:坂西美津雄
材料:黄色に熟した梅(4K)塩(梅の15%600g)赤紫蘇(400g)紫蘇のもみ塩(紫蘇の5%20g)焼酎(1カップ)

1,梅はあくを抜きますが梅の熟度により加減します。
 やや黄色に熟した物は一晩、果肉の柔らかい物は3~4時間と水に漬ける時間を加減します。
 あく抜きが終わったらよく洗い水気を取りキッチンペーパーで1個ずつ拭き水気を取ります。

2,甕の底に塩を振り、交互に梅を入れ塩を振り、上にたっぷり塩を振るようにします。

3,塩を振り入れたら焼酎を1カップ回し入れ落し蓋をして梅の倍の重さの重石をします。
 湿気の少ない場所に保管し、漬け汁が上がるのを待ちます。
 漬け汁が上がって来たら重石を半分の重さにします。この漬け汁が梅白酢です。
 梅はしっかり漬かるり梅白酢が出るまで待ちます。

4,赤紫蘇はよく洗い、水気を切ります。
 葉を取り容器に入れて一つまみの塩を入れて揉みます。
 赤黒い汁が出てきますが、この汁は捨てます。
 再度塩をかけ揉みます、さらに柔らかくなるまで揉みます。
 柔らかくなったら紫蘇を手で絞り水気をとります。
 その紫蘇に梅白酢を1カップ入れ更に揉むと紫紅色になります。

5,揉んだ紫蘇を梅の上に汁ごと広げて乗せ、落し蓋をし、梅が汁に浸る程度の重石をします。
 梅雨が明けるのを待ちます。

6,日中の暑い太陽光で干します。
 からっとした暑い日に梅を干します。
 笊に1個ずつ並べて干します。
 紫蘇も絞って干し、半日に1度は裏に返して干します。
 これを3日間続けると色ずいてきます。
 一晩夜干しをすると皮がしっとりします。

7,干した物を甕に移し、皿2枚ほどの重石をして上を覆い涼しい場所に保管します。

写真は我が家の3年物の梅干しです。


鬼平犯科帳1 【浅草御厩河岸】

 浅草御厩河岸で小さな居酒屋を営む前盗賊岩五郎の元へ老爺がやってきて、ある大盗賊が、最後のか〔お盗め〕をするので手伝ってほしいと持ちかけた。
 しかし岩五郎は、長谷川平蔵の手先となって働いていたので、悩み続けていた…。

 品川へ来た翌年の冬に、折からの雪の中を宿場へ入って来た見すぼらしい旅の老人と、道でばったり出会ったとき、岩五郎はおもわず叫んだ。
 「と、父ちゃんじゃぁねえのか……」まさに、卯三郎である。
 普通ならば、わが子を放り捨て同然にしてしまった父親へ、なつかしげに声をかけるまでもない。
 けれども岩五郎の脳裏には、高岡の町の小さな家で旅から帰ってきた時の父と母の、いかにも仲むつまじい団欒があざやかに、強烈にしみついている。
 また卯三郎も、そのころは、なめしゃぶるようにして、たった一人息子を可愛がったものであった。
 「おれが故郷じゃあね、しんこ泥鰌といって、小ゆびほどの小さい泥鰌がとれる。父ちゃんはこいつを鍋に入れてね、ごぼうをこう細く切って、味噌の汁をつくるのがうめいのさ。大きい鍋にいっぱいこしらえてよ。おっ母と三人でふうふういいながら何杯も汁をすするんだ」
 と、岩五郎が双眸をかがやかせて、お勝に語ったことがある。

【しんこ泥鰌】
料理:野崎洋光
材料:二人分
泥鰌(100g)ごぼう(100g)ねぎ(3本)
水(100㏄)醤油(40㏄)味醂(40㏄)砂糖(大さじ1)薬味(粉山椒、七味・適量)

生きた泥鰌をお湯に浸す、そして直ぐに水に浸けて冷ます。
その泥鰌を洗い、ぬめりを水の中で丁寧にとる。
洗った泥鰌を鍋に入れ強火で煮る。
ごぼうはささがきに切り、ねぎもごぼうと同じ大きさに刻む。
煮えてきた泥鰌はあくを丁寧にとり、醤油、味醂、砂糖を入れる。
土鍋にごぼうちねぎを敷き広げて、その上に煮えた泥鰌を汁ごと入れる。
土鍋を火にかけて煮る。

私感
江戸前の丸ごと泥鰌鍋は苦手で食べる前から嫌いです。
以前書いた私のレシピ、子持ち泥鰌を開いて骨を抜いた柳川鍋しか泥鰌の食べ方を知らない私、けど残念な事に現在生きた泥鰌を捌ける職人が見当たりません。
15年程前は巻町に泥鰌屋が在りそこの親父の見事な泥鰌捌きに見とれたものです。
でも、このしんこ泥鰌に少し手を加えれば、私のも食べれる泥鰌鍋に仕上がるような気がします。

6:16 2014/06/03


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