向附の盛り付け
 七五三方式とか山水に盛るとか、花鳥、宝船、それがお料理の奥儀のように書いてある御料理本。
 何故か違和感を感じる、盛り付けには決まりや法則など有る訳ががない。
 刺身は鮮度との勝負、何故か想像すると不潔感溢れるお造りに感じてならない。
 しいて言うならば、お造りは素早く造り、食べ易いように盛るのがベストでは無いだろうか。

 最近のお料理本はろくな物が無い。
 まな板の前に立った事の無い、あいつがお料理本を出すなんて呆れたよ。
 つらの皮が厚いも程々。

 最近は怪しいお料理研究家も氾濫していますね。
 日本の国はアーメン合掌・・・♨♬チ~ン


 新潟地震以来真鯛の漁獲がが少なく成った粟島、ここ数年で昔の漁獲を取り戻したようです。
 鯛は丁寧に鱗をとり、皮を引き去ってしまうのは余りにも勿体ない事です。
 美味しいからと言っても皮は皮です、やっぱり硬く、そのままでは食べ難いところから湯引きと言う方法が考えられました。
 三枚におろし、お造りにするばかりの鯛に、皮の上に布巾を乗せ熱湯を被せて、すぐ氷水に浸します。
 熱湯を受けた皮は、茹であがった状態になり、柔らかく召し上がる事が出来ます。
 湯のかけかたは一概には言えず、感と経験が必要ですが是非、お試し下さい。


 私が住む自宅住所は昔、越後の国廿六木村と言った様だ。
 我が師、深海政夫の自宅跡が廿六木村の名の由来、豪族廿六木軍兵衛の屋敷跡と言われていた。
 深海政夫は廿六木軍兵衛の財宝を信じて庭を掘り起こしていたとの話を近所の老人から聞いた。
 その老人は私の長くの飲み友達であの世へ逝って数年、寂しい思い。
 
 深海政夫は木崎村小作争議で、時の文化人、柳宗悦、河井寛次郎、小山富士夫、棟方志功、濱田庄司諸々と一緒に、小作人は勉強する必要はない。
 と言う地主、現北方博物館、地主伊藤家に反旗を掲げてて出来た、木崎農民学校の教師である。

 処がこの政夫、すこぶる女好きで、共産党員、当時特別高等警察に狙われ、日本に居られず愛人と支那に亡命。
 
 末路は燕産業資料館、初代館長。
 逝ってから何年経つかな、深海家の墓には【武蔵の国 鴻巣村より 訳ありて この地へきて 農をえとなむ】と有る、祖先は侍なんだね。

 アーメン合掌・・・♨♬チ~ン


 鶏肉を一口くらいのへぎ切りにし、葱は斜め切りにします。
 お手持ちの”かえし”を出汁でお好みの味で薄め、汁を作っておきます。
 卵は一人前ずつ割るのが理想で、軽くとぎほぐしておきます。
 鍋は丁度一人前ようの小さなものを用意し、適量の汁を入て火にかけ、鶏肉を入れます。
 鶏肉が煮えたら葱を入れ、煮え立った処へ、とき卵を中心から渦を描くように流し入れます。
 見ている間に卵がじわぁ、と色が変わり、固まりかかってきます。
 さて、卵の美味しさは、半熟ていどです。
 ですから、ここでぐずぐずしていては固まって味が悪くなります。
 ここだ!て言う瞬間を逃さず、丼のご飯の上に流し乗せ、叩き木の芽3枚を入れ蓋をします。
 ご飯の熱々の時と、そうでない時との卵の煮え具合は加減が必要です。
 ご飯の熱で卵がさらに固まるからです。


素麺南瓜
ウィキペディア下記一部引用
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
キンシウリ(金糸瓜、錦糸瓜、学名: Cucurbita pepo)は、ウリ科カボチャ属ペポ種に属する一年生の西洋カボチャの一変種。アメリカ大陸原産。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 素麺南瓜は皮を剝き、種や腸を取りその侭味噌漬けにする方が居られます。
 そんな方の事を思いますと、色々難しい茹で方を言われて居ますが、そこ迄神経を使う程の事は無かろうと思います。
 そこで私なりの作り方を書いてみました。
 両端を切り落とし、真ん中から二つに割ります

 鍋に水を入れ、水から茹でます。

 沸騰してから3分で火を落とし。

 直ぐ水に放し冷やします。

 冷めた素麺南瓜は種とワタを手で取ります。

 種などを取った状態。

 包丁で皮を剝きます。

 皮を剥いたら手でほぐします。

 味噌漬けにする場合は糸にしないで其の侭漬けます。

 私はほぐした素麺南瓜が美味しくて摘み喰いをします。
 味付けは酢、醤油、ゴマ油などや、山葵醤油、三杯酢、諸々お好みで。
 又、涼しい処で保存すれば2ケ月位は保ちますが、茹でて糸にして冷凍保存すれば来年の収穫時まで楽しめます。


 味噌汁は豆のイキスとも言える味噌から出来ていますが、味噌汁のみには豆はあまり使いません。
 味噌の味に含まれている豆の味に、さらに豆をみとする事は、植毛の上にアデランスを被ったようなものです。
 ですが、豆から出来た湯葉、豆腐、揚げなどは味が調和するので別物と考えるようです。
 豆の形のままで味噌汁のみとなるのは、縁起に因んだ小豆や、豆がさやの中に熟しきらないうちに使う隠元豆などでしょう。
 
 隠元豆は明からの帰化僧、隠元が日本に持ち込んだとされることからこの名が付いたと言われます。


 ちまき

 お袋が作ったちまきが食べたく成りました。
 ちまきは米の調理法として、焼く、煮るなどと違い蒸すと言う調理法です。
 笹や竹の葉などの防腐剤の役割も考え、昔から携帯食や保存食として考えられていたのでしょう。
 きなこが嫌いな私は砂糖で食べました。


 北大路魯山人が橋の上から、川鱒を捕っている漁師を見て、持ち金を払い買ったと言う話を本で読んだ記憶が有る。
 我が町、燕でも5月に成ると大通川と言う幅6m程の川に川鱒が登ってきた。
 処が、そんな天の恵みも鎧潟干拓以来姿を消した。
 この地域は海抜以下の土地が2割を占め、300年に100回の洪水に見舞われたと言う。
 それにしても以来、食べれなくなった、ヒシ、1mも有る鯉、尺鮒、雷魚、鯰、30㎝も有る烏貝が姿を消したのは残念である。
 大通川も護岸工事で菖蒲の花の群生も姿を消した。
 
 最近はそんな川鱒を、川を登る前、海で捕れた物が最高とテレビ等で放映。
 君たち、本当に川鱒を食べた事が有るの?川鱒は川の真水を飲んで油がのり美味くなるんだよ。
 海で捕れた物は川鱒ではないし、北大路魯山人は買わないだろうね。

 


 味覚

 濃い味が美味いと思われない年齢があるようです。
 若い時は塩分、糖分、脂肪分と肉体が要求し、行動も激しく、中年や老年期とは違った味覚でした。
 店をやっていると、どうしても時間通りに食事をする事は困難ですが、それなりのお料理でした。
 ですが、共稼ぎの家庭では忙しさのあまり化学調味料を使われる事がしばしばでしょうか。
 化学調味料で味を作る事も、止むに得ない事であり、その人にとっては便利重宝な調味料でしょう。
 ですが、昆布と鰹節で出汁を取り、塩と醤油で味を調えたものと化学調味料で味を付けたものと比較してもらいたいものです。

 また、化学調味料と、昆布、鰹節の出汁との併用は一瞬にして強い化学調味料の味に変わるばかりで無く、不経済です。
 
 真面目に出汁を取りやっている店には客がまばら、化学調味料の強い味、ファミレスには行列が、あぁ解らん!


 店頭に、鹿児島産の筍が姿を見せ始めました。
 新潟産は未だ早いですが、清まし汁を一つ。

 筍若布(木の芽)
 筍は魚と同じく鮮度が落ち、固くなるばかりではなく、エグ味も強くなります。
 出来れば、掘りたてを使いたいものです。
 掘りたての筍は生のまま分厚く輪切にして、若布と一緒に煮るだけで美味しいです。
 掘ってから時間が経過した筍は、皮のまま先端を斜めに切り、そのまま茹でて下さい。
 少しくらい土が付いていてもかまわないばかりか、土付きだとむしろエグ味みが無く成るといわれます。
 鮮度が悪く、エグ味が強いと思ったら米糠を入れて茹で、赤唐辛子を入れるのも良いでしょう。
 こうすればエグ味が取れ易いです。
 茹で加減は竹串で突き刺し確かめます。
 茹であがったら、落とし蓋をして冷めるのをまち、水を取り替えて洗い、2cmの輪切りにします。
 輪切りにした筍の両面に深く包丁目を入れ、鍋に昆布を敷き、出汁で煮込み、薄口醤油で淡く味をつけ、ふくませ、味を染み込ませます。
 新若布は水洗いし、5cmほどに切り揃え、出し汁に煮込みます。
 お椀に盛り付けは、椀種筍、つま若布、吸口木の芽となります。
 お椀の中央に筍を置き、若布を添えて汁を盛り、木の芽を手の平で叩いて乗せます。


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